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name: おき
読書と創作(文/絵)とゲーム
最近はこれで生きてる
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白と王 2
「王、いかがされました」
「……ん? ああ」
昼間から酒を飲んでいる王が、何やら物思いにふけっている。
読書中の城が酌を拒否したので、この部屋にはシロ、王、下女の3人。
当初は一緒に飲もうと誘われたのだが、シロは酒自体それほど好きではない。酒の楽しみ方がわからない。
そう断ると、ならば共に楽しもうと言われたが、その気が起きないとさらに断った。
「シロ、そんなに本が好きか」
「ええ」
「本以外には何が好きだ。食べ物は? 色は? 花はどうだ」
「好きなもの……本以外なら、自然が好きです。生きた草木や花、なんかが」
「切り花は好きではないと?」
シロは頷いた。
「食べ物は何が好きだ? 色は?」
「これといって好きな食べ物はないので。色も」
「つれないなあ」
つれないわけではなく、本当のことなのだから仕方ない。
シロは返事もせず、黙々とページをめくる。
しばらく王も静かなので夢中になって文字を追い、ふと頭痛を覚えた。顔を上げ目頭を揉む。
「疲れたのか、休んだらどうだ」
「……そうですね」
休みたい。
心から。
いつしか、また周囲に人がいなくなっていた。
離れた部屋から談笑する声がする。
『…………』
父、母、妹、幾人もの使用人。これだけにぎやかなのだ。きっと広間に集まっているのだろう。
読んでいた本を閉じると、ふらりと窓辺に寄った。
晩秋の庭は色に乏しく、見下ろす景色は寒々しい。
今日はこれから、領内の収穫祭に行くらしい。
数年前までは妹が気を使って必ず誘いをかけてきていたが、それもなくなった。両親が承諾しないから、誘われても行くことができなかった。
行きたくないわけではない。だが、年に数度しか話さない父とどう接していいかわからない。会うたびに悪魔に会ったかのようにヒステリーを起こす母に、どう声をかけていいかわからない。使用人たちも、どう接したものか困惑する。
自分一人が我慢して皆が幸せになるなら、我慢する。
この色は神が与えた試練だと、耐え忍び克服せよと、いつだったか司祭様は言っていた。
『……主よ』
服の上から十字架を握る。
他の何に縋ればいいというのだ。本の世界に逃げるにも限界がある。
ふと、談笑する声が遠ざかる。
『いってらっしゃい。気を付けて』
屋敷の中が鎮まるのを待って、廊下に出る。
静まり返った廊下がいやに広く長い。
足早に階段を降り、庭に逃げ出す。無意識に詰めていた息を吐いた。
花壇の前のベンチに腰を下ろす。
なんだかひどく寒い。
寒い。
「う……」
また夢か。
掛布がめくれている。これでは寒いはずだ。
部屋は暗い。だが眠る気にもならない。
「はあ……」
ここに来てから半月近く。こうして夢を見るのは5度目だ。
もそもそと身を起こすと、部屋を横切り通路に出る。今夜はどこを歩いて時間を潰したものか。
どうせ途中で、王が腕を組んで待ち構えているか、いきなり首根っこをつかまれるのだ。それなら好きに探検する。
広い通路はあらかた歩き終わった気がする。
シロは灯りを一つ拝借すると、食堂そばの細い通路に向かった。
今まで灯りが付いているところだけを歩いてきたが、大半の細い通路や用途不明の部屋は灯りが消されていた。昼間も灯りがついていたかどうかの自信はないが。
山道で王に会った時の様子からして、王と従者たちは闇をものともしていなかった。昼間でも灯りはつけていないのかもしれない。
何とも殺風景だ。
しばらく歩くと、遠くがうっすらと明るくなった。橙の通路の灯りではない。青白い月明かり。
通路を抜け切ると、大窓の並んだ広い通路。
そういえば、この城の通路で窓が並んでいるのは初めてだ。
中庭だろうか。回廊状に大窓が並んでいる。
その中庭は何とも硬質的だ。
白い大理石。植込みが施され、ささやかに咲く花。中央に広く水場があり、噴水というには地味な台。
窓に手をかける。鍵があるわけでもないが、開かない。
中庭に出られないようなので、窓に沿って通路を歩く。
角に配された鎧を過ぎ、その先をのぞきこむ。
「…………っ!」
息が止まるかと思った。
角の先に配されていた鎧が、手にした槍で通路を遮った。
鎧の中から感じる視線と、圧力。
「だめ、か?」
「……」
だめらしい。引き下がるしかない。
反対の角にも同じように鎧があり、視線があった――気がした。あちらもだめらしい。
通路を引き返す。
他に踏み込んでない通路はどこだっただろうか。
そういえば階段の裏に通路があったような覚えがある。細い通路から出て、階段に視線を向ける。
「…………」
「う……王」
「さては兵に追い返されたな」
階段の手すりにもたれてあくびを一つ。
「私が来たことで今夜の探検は終わりだ」
「……ですよね」
「明日、この城の中をきちんと案内してやる」
シロは足元に落としていた視線を上げた。
「一人で入っていいところと、一人で入らない方がいいところを教えてやる。探検は構わないが、そこは守れ。いいな?」
「え、ええ」
王は一つ頷いた。
「よし、なら休んでおくことだ。隅から隅まで歩くからな」
「ここでシロが追い返されたわけだ。そうだな?」
「ええ、まあ」
翌朝、朝食をとり終えるやいなや宣言通りに城内を歩き出した。個別の部屋は、鍵がかかってなければ入っても構わないと言い、王は見向きもしない。なぜかと問えば
「どうせさしたるものもない。普通の空き部屋だ」
「ここまで50は空き部屋でしたけど」
「部屋が必要なものが少ないのでな」
時折、鍵のかかった部屋もあるが、それも王がすべて見せてくれた。曰く、青髭の妻となられても困ると。
そうして表に見える1階を一通り見た後、昨夜追い返された場所に来た。
「ここから先は別棟だ。私や他の臣がいるならいいが、一人では踏み込むな。死ぬぞ」
「死ぬって、なんでですか」
「おいおいわかる」
王はそういって、大窓を開け放った。昨夜はびくともしなかったのに。
「この泉は、この城と森、そして山を覆っている霧の源だ」
そういって水際に立つ。
大理石の底まで曇りがない。
「夏でも水浴びなどするなよ。冷たすぎて心臓が止まる」
「そんなに冷たいんですか、これ」
王は無言で植込みを引っこ抜き、泉に投げた。
一度水中に沈み、浮かび上がると同時に、水面に薄氷が広がる。
思わず1歩後ずさる。
「さあ、次に行くぞ」
別棟は、呪いの品やいわくつきの品の収蔵庫になっているらしい。
しゃべり続けている石像に、威嚇をやめない鹿の首、枯れない魔性の花。
「なんでこんなものばかり」
「収集家の友人が置いていくのだ……我が城は物置ではないといに」
半分は偽物らしいが、逸話次第では本物になりかねないこともあり、城に封じているのだという。本物もまた然り。
「たしかにこんなもの、外には出せませんね」
どうみても聖母の絵なのに、絵の赤子が延々と泣いている。
「今は昼だからこの程度で済んでいるがな、夜になるとここは魔窟だ」
「いや、一人じゃなくても入りませんよ……もういいです」
「そうか」
別棟の半分程度で白旗を揚げ、早々に撤収する。
「まだいけるか?」
「ええ、あの手のものでなければ」
「それならば、まともな方を案内しよう」
そういって連れてこられたのは、別棟の反対側。王の書斎下あたりの場所。
霧の泉とは全く違う広い回廊。その先に広がるのは横長の中庭と、その上を走る渡り廊下。
「中庭だ。あちらは書庫だな。こちらは自由に出入りして構わんぞ」
「上もですか」
「ああ」
そのあとは、王がいるにも関わらず、存在ごと忘れていた。
脚が重いことと空腹で我に返ると日が傾き始めていた。
王が言うには、まだ城の上のほうがあるらしい。
「そちらは明日以降でいいだろう。腹が減ったろう。少し早いが夕食を作らせるとするか」
最近、風当たりが強くなった――気がする。
当たり前だ。妹は両親とともに領地の行事に顔を出すのに、嫡男は屋敷から出てこない。
屋敷にいてもそれはわかる。両親、使用人や下女、司祭の態度、視線、陰口。
屋敷のどこにいても居心地が悪い。
広間のほうから笑い声が聞こえる。
『はあ……』
浮かれているのだ。
年頃の愛娘が近郊で有力な貴族の一人息子に嫁ぐこととなったらしい。
それで領主の務めを投げ出し、僕に回ってきたわけだ。
誤字だらけの書類に目を通し、修正しながら署名する。
いつもは気にならない笑い声が、気配が、妙に癇に障る。ペンを置いた。
目の奥に鈍痛。立ち上がるのも億劫な倦怠感。
言うことを聞かない体を引きずってベッドに倒れこむと、ひどい頭痛がした。
「…………」
「おはよう、シロ」
なぜ王が、
「起きてこないのでな。随分うなされていたぞ」
いつもうなされて夜中に起きていたが、3日連続城内を歩き回ったからだろうか。
頭が重い。額に手を当てた。
「さすがに疲れが出たか? にしてはくまが濃いな」
「くま……?」
「そう目の下にくっきりと」
王はそういって、部屋のどこからか手鏡を持ってくると、顔の前にかざしてくれた。
いつもどおりの白い顔に疲労と眠気。そして、これほど濃くなるのかというくま。
「気持ち顔色も悪いような気もするが……今日はゆっくりするといい。食事もこちらに運ばせよう」
「いや、そこまでは」
気を使われることに居心地の悪さを感じ、もそもそと身を起こす。体が重い。
くらりと視界が揺れた。
「シロっ!」
ベッドから落ちかけたからだを王が捉え、掛布の中に押し戻す。
「熱がある。寝ていろ。いいな」
「熱?」
聞き返したが、王はドアにすっ飛んで行き姿を消した。
熱が、ある?
もう一度額に手を当てるが、自分では熱があるかどうかもわからない。
そもそも体調が悪くても数日寝込むだけで、誰かにそれを指摘されたことがなかった。
「熱……」
疲れで熱がでるものなのか。
熱が出たら、他者は心配するものなのか。
バタバタと王と下女が部屋を出入りし、その音が頭に響いた。
ちょっとうるさい、そう思いながら今一度目を閉じた。
ひどく揺さぶられて意識が浮上した。
頭が痛い。
「シロ、またうなされていたぞ」
「お、う……」
かすれた声に、無言で水を差しだされる。
ゆっくりと体を起こし、器に口をつける。冷たい。
「朝食もとらずにまた眠っていたが、どうする?」
「いただきます」
部屋の反対側にあるテーブルには、そのまま食事ができる状態になっていた。
どれくらい眠っていたのかと窓を見る。日の高さからして10時くらいだろうか。
食事を作ってるのが誰かはわからないが、メニューはいつも素朴で食べやすい。
斜向かいに座った王は、こちらの様子を観察しながら果物をかじっている。
「寝ている間、ずっと枕元にいたんですか」
「そうだが?」
「相当暇なんですね」
王は果物をかじるのをやめ、怪訝そうな顔をこちらに向けた。
「病の友人を心配するするのはごく当然だろう」
「友人?」
「ああ」
「心配?」
「当たり前だ」
王の目に怒りのようなものがちらりと見えた。
「病に罹った時、母なり家族なりが心配し、看病してくれたことがあるだろう。それをお前は、今までなんだと思っていた」
「看病?」
「待て、シロ、お前まさか、ただ迫害されて飛び出してきたわけではないのか?」
「っ……」
聞くな。
正気のままに記憶をなぞるには、あそこは寒すぎる。
『よりによって嫡男が……』
『娘だったら殺してしまえたのに』
『他に男の子が産めなかったから』
『アンナが娘に生まれたことは仕方がない。アンナは何も……』
『そうね、あれが男で嫡男だったのが悪いのよ』
『いっそのこと……』
『それ以上は言うな』
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だいや――
「シロ!」
「……っ!」
肩をつかんだ手を、とっさに払った。
バランスを崩し、椅子から転げ落ちる。
頭が割れそうに疼く。目が回る。腹の底から不快感がこみ上げる。
「う……ぇ……げぇ……げほっ」
つい先ほど口にしたものを吐き戻した。喉の奥に苦いものが広がる。胃液だけになっても、吐き気が収まらない。
「シロ、口をゆすいでこの桶に吐け」
「う……」
「いいから!」
王の強い口調に、拒絶もできずに小さくうなずいた。
王が椅子に座って萎れている。
ベッドに戻されてしばらくは気分の悪さに耐えていたが、吐き気とめまいが収まるとあまりに静かな王に気が付いた。
今みたいに悄然と椅子に座り、黙っているのであれば、ちょっと風変わりな服装の美人だ。
普段を知っていると気味が悪いだけだが。
「王、」
「……なんだ?」
「大人しすぎて不気味なので、それやめてもらえますか」
「なっ……不気味とは何だ、不気味とは!」
いつも好き勝手におしゃべりしてるじゃないですか、とつぶやき、体を起こす。
「すまなかった」
「何がです」
「嫌なことを思い出させた。私が悪かった」
「それは……僕も何も言っていなかったので」
水もらえますかというと、王はとってくると告げて部屋を出た。
ぼんやりと部屋の中を見回す。
自分の物がほとんどないのは昔も今も変わらない。人が少ないのも変わらない。だが、どことなく温かい。
「シロ、水だ!」
「あ、うん。ありがとう」
バーンとドアが勢いよく開かれて、ご機嫌な王が戻ってきた。すっかりいつも通りになっている。
「朝は食べれなかったが、一応昼でも夜でも食べれるそうだ。大丈夫だと思ったらいつでも言え」
「うん」
ゆっくりと水を口に含む。吐き気がぶりかえすことはなさそうだ。
「あのさ、王」
「なんだー?」
「ありがとう」
「?」
「めちゃくちゃだけど、こうしてよくしてくれて」
何を言っていると王は笑みを深めた。
「僕、ずっとここにいてもいいですか」
すぐにはできなくても、何があったか教える。王の話し相手もする。もう一人はいやだ――
「シーローっ、んふふふ」
「ちょ、人が真面目に……」
ばっさりと王がシロの上に乗りかかってひとしきり笑った。
「私は最初に言ったじゃないか。この城に起居することを許すと。ずっとこの城に居るといい。私もシロのよき友であり続けられるように努力しよう」
「……ありがと」
「今度近所にいる他の奴らも呼ぼう。みんなにシロを見せびらかしてやる」
「僕、犬猫じゃないんですけどね」
「わかってる、わかってる――」
「……ん? ああ」
昼間から酒を飲んでいる王が、何やら物思いにふけっている。
読書中の城が酌を拒否したので、この部屋にはシロ、王、下女の3人。
当初は一緒に飲もうと誘われたのだが、シロは酒自体それほど好きではない。酒の楽しみ方がわからない。
そう断ると、ならば共に楽しもうと言われたが、その気が起きないとさらに断った。
「シロ、そんなに本が好きか」
「ええ」
「本以外には何が好きだ。食べ物は? 色は? 花はどうだ」
「好きなもの……本以外なら、自然が好きです。生きた草木や花、なんかが」
「切り花は好きではないと?」
シロは頷いた。
「食べ物は何が好きだ? 色は?」
「これといって好きな食べ物はないので。色も」
「つれないなあ」
つれないわけではなく、本当のことなのだから仕方ない。
シロは返事もせず、黙々とページをめくる。
しばらく王も静かなので夢中になって文字を追い、ふと頭痛を覚えた。顔を上げ目頭を揉む。
「疲れたのか、休んだらどうだ」
「……そうですね」
休みたい。
心から。
いつしか、また周囲に人がいなくなっていた。
離れた部屋から談笑する声がする。
『…………』
父、母、妹、幾人もの使用人。これだけにぎやかなのだ。きっと広間に集まっているのだろう。
読んでいた本を閉じると、ふらりと窓辺に寄った。
晩秋の庭は色に乏しく、見下ろす景色は寒々しい。
今日はこれから、領内の収穫祭に行くらしい。
数年前までは妹が気を使って必ず誘いをかけてきていたが、それもなくなった。両親が承諾しないから、誘われても行くことができなかった。
行きたくないわけではない。だが、年に数度しか話さない父とどう接していいかわからない。会うたびに悪魔に会ったかのようにヒステリーを起こす母に、どう声をかけていいかわからない。使用人たちも、どう接したものか困惑する。
自分一人が我慢して皆が幸せになるなら、我慢する。
この色は神が与えた試練だと、耐え忍び克服せよと、いつだったか司祭様は言っていた。
『……主よ』
服の上から十字架を握る。
他の何に縋ればいいというのだ。本の世界に逃げるにも限界がある。
ふと、談笑する声が遠ざかる。
『いってらっしゃい。気を付けて』
屋敷の中が鎮まるのを待って、廊下に出る。
静まり返った廊下がいやに広く長い。
足早に階段を降り、庭に逃げ出す。無意識に詰めていた息を吐いた。
花壇の前のベンチに腰を下ろす。
なんだかひどく寒い。
寒い。
「う……」
また夢か。
掛布がめくれている。これでは寒いはずだ。
部屋は暗い。だが眠る気にもならない。
「はあ……」
ここに来てから半月近く。こうして夢を見るのは5度目だ。
もそもそと身を起こすと、部屋を横切り通路に出る。今夜はどこを歩いて時間を潰したものか。
どうせ途中で、王が腕を組んで待ち構えているか、いきなり首根っこをつかまれるのだ。それなら好きに探検する。
広い通路はあらかた歩き終わった気がする。
シロは灯りを一つ拝借すると、食堂そばの細い通路に向かった。
今まで灯りが付いているところだけを歩いてきたが、大半の細い通路や用途不明の部屋は灯りが消されていた。昼間も灯りがついていたかどうかの自信はないが。
山道で王に会った時の様子からして、王と従者たちは闇をものともしていなかった。昼間でも灯りはつけていないのかもしれない。
何とも殺風景だ。
しばらく歩くと、遠くがうっすらと明るくなった。橙の通路の灯りではない。青白い月明かり。
通路を抜け切ると、大窓の並んだ広い通路。
そういえば、この城の通路で窓が並んでいるのは初めてだ。
中庭だろうか。回廊状に大窓が並んでいる。
その中庭は何とも硬質的だ。
白い大理石。植込みが施され、ささやかに咲く花。中央に広く水場があり、噴水というには地味な台。
窓に手をかける。鍵があるわけでもないが、開かない。
中庭に出られないようなので、窓に沿って通路を歩く。
角に配された鎧を過ぎ、その先をのぞきこむ。
「…………っ!」
息が止まるかと思った。
角の先に配されていた鎧が、手にした槍で通路を遮った。
鎧の中から感じる視線と、圧力。
「だめ、か?」
「……」
だめらしい。引き下がるしかない。
反対の角にも同じように鎧があり、視線があった――気がした。あちらもだめらしい。
通路を引き返す。
他に踏み込んでない通路はどこだっただろうか。
そういえば階段の裏に通路があったような覚えがある。細い通路から出て、階段に視線を向ける。
「…………」
「う……王」
「さては兵に追い返されたな」
階段の手すりにもたれてあくびを一つ。
「私が来たことで今夜の探検は終わりだ」
「……ですよね」
「明日、この城の中をきちんと案内してやる」
シロは足元に落としていた視線を上げた。
「一人で入っていいところと、一人で入らない方がいいところを教えてやる。探検は構わないが、そこは守れ。いいな?」
「え、ええ」
王は一つ頷いた。
「よし、なら休んでおくことだ。隅から隅まで歩くからな」
「ここでシロが追い返されたわけだ。そうだな?」
「ええ、まあ」
翌朝、朝食をとり終えるやいなや宣言通りに城内を歩き出した。個別の部屋は、鍵がかかってなければ入っても構わないと言い、王は見向きもしない。なぜかと問えば
「どうせさしたるものもない。普通の空き部屋だ」
「ここまで50は空き部屋でしたけど」
「部屋が必要なものが少ないのでな」
時折、鍵のかかった部屋もあるが、それも王がすべて見せてくれた。曰く、青髭の妻となられても困ると。
そうして表に見える1階を一通り見た後、昨夜追い返された場所に来た。
「ここから先は別棟だ。私や他の臣がいるならいいが、一人では踏み込むな。死ぬぞ」
「死ぬって、なんでですか」
「おいおいわかる」
王はそういって、大窓を開け放った。昨夜はびくともしなかったのに。
「この泉は、この城と森、そして山を覆っている霧の源だ」
そういって水際に立つ。
大理石の底まで曇りがない。
「夏でも水浴びなどするなよ。冷たすぎて心臓が止まる」
「そんなに冷たいんですか、これ」
王は無言で植込みを引っこ抜き、泉に投げた。
一度水中に沈み、浮かび上がると同時に、水面に薄氷が広がる。
思わず1歩後ずさる。
「さあ、次に行くぞ」
別棟は、呪いの品やいわくつきの品の収蔵庫になっているらしい。
しゃべり続けている石像に、威嚇をやめない鹿の首、枯れない魔性の花。
「なんでこんなものばかり」
「収集家の友人が置いていくのだ……我が城は物置ではないといに」
半分は偽物らしいが、逸話次第では本物になりかねないこともあり、城に封じているのだという。本物もまた然り。
「たしかにこんなもの、外には出せませんね」
どうみても聖母の絵なのに、絵の赤子が延々と泣いている。
「今は昼だからこの程度で済んでいるがな、夜になるとここは魔窟だ」
「いや、一人じゃなくても入りませんよ……もういいです」
「そうか」
別棟の半分程度で白旗を揚げ、早々に撤収する。
「まだいけるか?」
「ええ、あの手のものでなければ」
「それならば、まともな方を案内しよう」
そういって連れてこられたのは、別棟の反対側。王の書斎下あたりの場所。
霧の泉とは全く違う広い回廊。その先に広がるのは横長の中庭と、その上を走る渡り廊下。
「中庭だ。あちらは書庫だな。こちらは自由に出入りして構わんぞ」
「上もですか」
「ああ」
そのあとは、王がいるにも関わらず、存在ごと忘れていた。
脚が重いことと空腹で我に返ると日が傾き始めていた。
王が言うには、まだ城の上のほうがあるらしい。
「そちらは明日以降でいいだろう。腹が減ったろう。少し早いが夕食を作らせるとするか」
最近、風当たりが強くなった――気がする。
当たり前だ。妹は両親とともに領地の行事に顔を出すのに、嫡男は屋敷から出てこない。
屋敷にいてもそれはわかる。両親、使用人や下女、司祭の態度、視線、陰口。
屋敷のどこにいても居心地が悪い。
広間のほうから笑い声が聞こえる。
『はあ……』
浮かれているのだ。
年頃の愛娘が近郊で有力な貴族の一人息子に嫁ぐこととなったらしい。
それで領主の務めを投げ出し、僕に回ってきたわけだ。
誤字だらけの書類に目を通し、修正しながら署名する。
いつもは気にならない笑い声が、気配が、妙に癇に障る。ペンを置いた。
目の奥に鈍痛。立ち上がるのも億劫な倦怠感。
言うことを聞かない体を引きずってベッドに倒れこむと、ひどい頭痛がした。
「…………」
「おはよう、シロ」
なぜ王が、
「起きてこないのでな。随分うなされていたぞ」
いつもうなされて夜中に起きていたが、3日連続城内を歩き回ったからだろうか。
頭が重い。額に手を当てた。
「さすがに疲れが出たか? にしてはくまが濃いな」
「くま……?」
「そう目の下にくっきりと」
王はそういって、部屋のどこからか手鏡を持ってくると、顔の前にかざしてくれた。
いつもどおりの白い顔に疲労と眠気。そして、これほど濃くなるのかというくま。
「気持ち顔色も悪いような気もするが……今日はゆっくりするといい。食事もこちらに運ばせよう」
「いや、そこまでは」
気を使われることに居心地の悪さを感じ、もそもそと身を起こす。体が重い。
くらりと視界が揺れた。
「シロっ!」
ベッドから落ちかけたからだを王が捉え、掛布の中に押し戻す。
「熱がある。寝ていろ。いいな」
「熱?」
聞き返したが、王はドアにすっ飛んで行き姿を消した。
熱が、ある?
もう一度額に手を当てるが、自分では熱があるかどうかもわからない。
そもそも体調が悪くても数日寝込むだけで、誰かにそれを指摘されたことがなかった。
「熱……」
疲れで熱がでるものなのか。
熱が出たら、他者は心配するものなのか。
バタバタと王と下女が部屋を出入りし、その音が頭に響いた。
ちょっとうるさい、そう思いながら今一度目を閉じた。
◇◆◆◆◇
ひどく揺さぶられて意識が浮上した。
頭が痛い。
「シロ、またうなされていたぞ」
「お、う……」
かすれた声に、無言で水を差しだされる。
ゆっくりと体を起こし、器に口をつける。冷たい。
「朝食もとらずにまた眠っていたが、どうする?」
「いただきます」
部屋の反対側にあるテーブルには、そのまま食事ができる状態になっていた。
どれくらい眠っていたのかと窓を見る。日の高さからして10時くらいだろうか。
食事を作ってるのが誰かはわからないが、メニューはいつも素朴で食べやすい。
斜向かいに座った王は、こちらの様子を観察しながら果物をかじっている。
「寝ている間、ずっと枕元にいたんですか」
「そうだが?」
「相当暇なんですね」
王は果物をかじるのをやめ、怪訝そうな顔をこちらに向けた。
「病の友人を心配するするのはごく当然だろう」
「友人?」
「ああ」
「心配?」
「当たり前だ」
王の目に怒りのようなものがちらりと見えた。
「病に罹った時、母なり家族なりが心配し、看病してくれたことがあるだろう。それをお前は、今までなんだと思っていた」
「看病?」
「待て、シロ、お前まさか、ただ迫害されて飛び出してきたわけではないのか?」
「っ……」
聞くな。
正気のままに記憶をなぞるには、あそこは寒すぎる。
『よりによって嫡男が……』
『娘だったら殺してしまえたのに』
『他に男の子が産めなかったから』
『アンナが娘に生まれたことは仕方がない。アンナは何も……』
『そうね、あれが男で嫡男だったのが悪いのよ』
『いっそのこと……』
『それ以上は言うな』
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だいや――
「シロ!」
「……っ!」
肩をつかんだ手を、とっさに払った。
バランスを崩し、椅子から転げ落ちる。
頭が割れそうに疼く。目が回る。腹の底から不快感がこみ上げる。
「う……ぇ……げぇ……げほっ」
つい先ほど口にしたものを吐き戻した。喉の奥に苦いものが広がる。胃液だけになっても、吐き気が収まらない。
「シロ、口をゆすいでこの桶に吐け」
「う……」
「いいから!」
王の強い口調に、拒絶もできずに小さくうなずいた。
王が椅子に座って萎れている。
ベッドに戻されてしばらくは気分の悪さに耐えていたが、吐き気とめまいが収まるとあまりに静かな王に気が付いた。
今みたいに悄然と椅子に座り、黙っているのであれば、ちょっと風変わりな服装の美人だ。
普段を知っていると気味が悪いだけだが。
「王、」
「……なんだ?」
「大人しすぎて不気味なので、それやめてもらえますか」
「なっ……不気味とは何だ、不気味とは!」
いつも好き勝手におしゃべりしてるじゃないですか、とつぶやき、体を起こす。
「すまなかった」
「何がです」
「嫌なことを思い出させた。私が悪かった」
「それは……僕も何も言っていなかったので」
水もらえますかというと、王はとってくると告げて部屋を出た。
ぼんやりと部屋の中を見回す。
自分の物がほとんどないのは昔も今も変わらない。人が少ないのも変わらない。だが、どことなく温かい。
「シロ、水だ!」
「あ、うん。ありがとう」
バーンとドアが勢いよく開かれて、ご機嫌な王が戻ってきた。すっかりいつも通りになっている。
「朝は食べれなかったが、一応昼でも夜でも食べれるそうだ。大丈夫だと思ったらいつでも言え」
「うん」
ゆっくりと水を口に含む。吐き気がぶりかえすことはなさそうだ。
「あのさ、王」
「なんだー?」
「ありがとう」
「?」
「めちゃくちゃだけど、こうしてよくしてくれて」
何を言っていると王は笑みを深めた。
「僕、ずっとここにいてもいいですか」
すぐにはできなくても、何があったか教える。王の話し相手もする。もう一人はいやだ――
「シーローっ、んふふふ」
「ちょ、人が真面目に……」
ばっさりと王がシロの上に乗りかかってひとしきり笑った。
「私は最初に言ったじゃないか。この城に起居することを許すと。ずっとこの城に居るといい。私もシロのよき友であり続けられるように努力しよう」
「……ありがと」
「今度近所にいる他の奴らも呼ぼう。みんなにシロを見せびらかしてやる」
「僕、犬猫じゃないんですけどね」
「わかってる、わかってる――」
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