――いい天気。
朝の土砂降りが嘘だったかのような晴れ渡った夕焼け空を見上げると、自然と笑みがこみあげてくる。
まだ道路は濡れているし、あちこちに水たまりもあるけれど、もう「晴れ」なのだ。
ぱしゃっ
かくりと一歩低くなった感覚に、濡れた水音。
「あ、あー……」
水溜りだ。それも大きな。
雨が降ると必ずここには水たまりができる。
毎年のようにおじさんたちが直しているが、1ヶ月もしないうちにまた水溜りができてしまう。
それだったら別に、直さなくてもいいのにと思う。
水溜り遊びするときにはいつもここに来ていたというのもある。
それにしても、今日は空がきれいに映っている。まるで鏡だ。
ゆっくりと波紋を広げる水溜りをじっとのぞき込んだ。
波紋が空をぐにゃぐにゃと歪める。
ぐら、と景色が揺れた。
「う、わ…………」
めまい。
それは一瞬で収まったが、頭がくらくらする。
揺れる景色を見続けて酔ったようだ。
何時の間にかかなり日が落ちて、街灯がぽつぽつと点き始めている。
水溜りを覗き込んでいるうちに、結構な時間が過ぎていたようだ。
もう遅いし、帰ろう。そう思った。
人気がなく静かすぎる帰り道に珍しさを感じながら、家の玄関を開けた。
「ただいまー!」
だが、応えはない。
しん、と静まり返った家の中に、自分の声だけが反響して戻ってくる。
おかしい、電気はついているし、鍵も開いているのに。
不審に思い、靴を脱ぐとすぐに台所へ向かう。
「おかあさーん?」
居間と台所は蛍光灯がついてるだけで、ぽっかりとそこにあった。
ずっと誰もいなかったかのように、何の気配もない。
気味の悪さを感じながら、その足で風呂場へ向かう。
がらりと音を立てて中を覗いても、暗い浴室には、湯の熱気も人の気配もない。
すぐに身をひるがえし、そばのトイレも確認するが、誰もいない。
「おかあさーん!? おじいちゃーん!?」
祖父がもっぱらそこにいる和室に駆け込む。
いつもの柔和でのんびりした声はない。
じわじわと不安が押し寄せてくる。
それを振り切るかのように足音を立てて2階へ向かう。
おそらく兄はまだ帰ってきていない。だが妹はいるはずだ。
「みなー!?」
少し重いドアを体当たりするように押し開ける。
「…………」
蛍光灯と、デスクスタンドが付いているだけの、ぽっかりと無人の部屋。
さっと血の気が引いた。
後ずさりして向かいの兄の部屋も確認するが、やはり無人。
「だ……だれか……」
親の寝室も、暗く無人。
茫然と立ちすくんだ。
誰も、いない。
しばらくそうやっていたが、やがて転がり落ちるように階段を下りた。
「だれか……」
昔、こんなホラー映画を見たことがある。誰もいなくなっている映画だ。
隣の家は、そうでなければ交番――
ランドセルを背負ったままだったが、スニーカーに足を押し込んで玄関を飛び出した。
「ねえ」
突然の声に、びくりとその場に立ち止まる。
今まで、誰もいなかったのに。
そろそろと声のした方を見ると、逆光を背負った女の子が立っていた。
身長は、同じくらい。スカートが風になびいている。
「どうやってここに入ってきたの?」
「…………え?」
「入ってきたからには入ってくる方法があるんでしょ?」
女の子が首を傾げた。
「わたしね、ずっと一人ぼっちだったの。だから外に行きたいなーって」
だって"あっち"にはたくさんの人がいるじゃない。
そういってからころと笑う。
「そ、それなら、出て行けば……」
「出かたがわからないの。それに、ただ出て行っても一人ぼっちじゃ、こっちと変わらないでしょ?」
「そ、そうだけど」
だからね、と女の子が近づいてくる。
何か得体が知れなくて、後ずさる。
「それ、ちょうだい」
何に言われたかわからないが、ぞっと背筋が冷えた。
突き飛ばされ、視界が反転する。
「なーにやってんの、あんたは」
おかあさんの声。
はっとして振り返ると、居間の窓から母親が見ていた。
よかった、あれは夢だったんだ。
ほっとして立ち上がろうとした。
その時、母親の目がふっと別のものを追った。
「ほーら、早くしないとごはん食べるわよー」
「はーい」
がらりと音を立てて玄関が開く。
――ま、
待って、と言おうとした。
そのランドセルはわたしのものだ。
くるりと、それが振り返り、スカートが翻る。
玄関灯の影になって、顔が暗く陰っている。
その口元が、歪に笑った。
「ありがとう」
「ばいばい、ひとりぼっちさん」
女の子が笑った――ような気がした。
あと少しのところで――玄関が閉められた。
『ばいばい、ひとりぼっちさん』
その声が、立ちすくむわたしの頭に延々響き渡っていた。
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