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name: おき
読書と創作(文/絵)とゲーム
最近はこれで生きてる
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白と王 1
「は、あ……はあ……はあ……」
彼は大きく息をついた拍子に、白い髪がこぼれた。
それをすぐに掬い、フードの中に押し込む。
「……どうしよう」
ぽつりぽつりと降り始めてきた雨を避け、大きなモミの木で馬を止める。
この道の先には、小さな山村があるかどうか。
いや、山村はダメか。
山村ほど異端には冷たく、狩りは厳しい。この髪では無理だ。
大きな町のほうが紛れ込むのは楽だ。楽だが、今は町で教会の権勢が強くなっている。
「髪を染めるだけで何とかなるとも思えないんだよな」
馬から降り、木の根に腰を下ろす。
とりあえず今夜は野宿だ。
そばの枝を数本拾う。湿気ているだろうか。
持ち出した荷物にマッチがあったはずだ。
雨は本降りにはならず、闇が深まるにつれて霧雨に変わった。
視界が悪い。
足を伸ばしたくらいのところで焚いた火が音を立てて爆ぜる。
休ませた馬が一瞬反応し、また大人しくなる。
どれだけその場でそうしていただろう。
「ん……どうした」
そわそわと落ち着きを欠いた馬の手綱を引く。
「狼でも出るのか?」
それにしては静かすぎる。草木が風になびく音一つしない。
静寂。
無音。
「……静かすぎ、のような」
生き物の気配がまるでしない。
馬をなだめ、先ほどまでのように木の下に落ち着かせる。
そうだ、冬の頭のこの時期だ、虫は鳴かないし獣も冬眠している。鳥も夜啼くものは限られている。風もなく霧があたりを覆っているからこんなに、静かで
音がした。
頭が真白になる。
蹄が石を踏む音。金属がこすれる音。どちらも耳に覚えがある。
だが。だが、だ。
こんな夜更け、しかもこの霧の中、誰が歩くというのだ。それも、こんな外れた地の細道を。
霧の中を行軍することはある。だがそれは、道がたしかな交易路や、沿道に大量の篝火を配したときの話だ。
蹄の音は一つ。足音はおそらく二つ。
足音は山手からするが、霧越しに篝火のぼうとした明るさはない。暗闇の中歩くなど。
心臓の音が耳の中でうるさく響く。
霧越しでもわかるほどに、もう近い。
赤みを帯びた目で山手の道を凝視する。闇と霧で姿は見えない。
視線を感じたのは気のせいだろうか。
「この道に人が居るとは、珍しい」
男とも女ともつかない声。
足音はすぐ近くで止まった。姿は見えない。
ガシャリと鎧が重く鳴る。同時に焚き火が踏み消されたようにかき消えた。
霧と暗闇が一瞬で間合いを詰める。
「真白をこの目で見たのは、何百年ぶりか……フフ」
声はくつくつとひとしきり笑い、どうした、と言った。
「……そうか、見えぬか。ならば」
これでどうだ。
突然目の前に騎乗した声の主が現れる。
金の髪に銀の瞳、うっすらと笑みを刷いたその顔は美しいがゆえに恐ろしい。
「――――――――」
「ん……」
寝具の温もりに寝返りをうつ。昨夜は霧で寒かった。
「…………?」
違和感。
領地を出て、日が暮れ、霧があたりを覆い、
がばりと跳ね起きた。
ここはどこだ。
天蓋のある広い寝台。臙脂の敷物。火の入っていない暖炉。古く使い込まれたソファとテーブル。書棚と、その前には
「おや、起きたか。おはよう」
男とも女ともつかない、あの人物が本を繰りながら立っていた。
「ここは、あなたは……」
「ここは我が城だ」
本を棚に戻し、ゆったりとした足取りで近づいてくる。
「霧雨の中、行く当てもなく木の下にいたお前に屋根を提供した。そうおびえられた筋合いはない」
泊めてほしいといった覚えも、屋根を貸すという申し出も受けた覚えはないが。
「あ……りがとう、ございます」
「そして我が城に入れた以上、下界に帰す気はない」
寝台の前でぴたりと足を止め、昨夜と同じくうっすらと笑みを刷いた顔がこちらを見下ろす。
「私を誰かと問うたな。私は王。人が世を統べる前からここに住み、闇と、闇に追いやられた魂を統べる王」
「闇……魔、王……?」
魔王とは心外な、と自ら王と称したその人はいう。
「人世の狭量な神を際立たせるための道化とされてはかなわない。人がこの世を切り拓く遥か前から私は在る」
そういってくつくつと笑った。
「言ってもわかりはせぬか。まあよい」
遠く、重く、柱時計が鳴り響く。
「王たる私が見初めた。この城に起居することを許す。側に侍り話し相手をせよ」
「な、にを勝手に」
「シロ、お前はこれからはその名だ」
「ちょっと、」
「そういえば寝起きであったな。誰か、シロの身繕いをしてやれ」
顔を洗わせられ服を整えられ、あれよあれよという間に下女らしい者たちに身支度を整えられた。
口を挟む間もなく部屋を移動させられ、広いが閑散とした広間に連れていかれた。
山を望む大窓が並び、数百人は入ろうかという大広間に、長テーブルと十を超える椅子。そして、
「なんだ、座らぬのか」
頬杖をついて笑っている、王。
食事が冷めるぞ、と言った。
最後に食事をしたのは昨朝なので、空腹は空腹なのだが、この人物と顔を突き合わせて食べていいものか。
「安心しろ、このとおり食事の内容はごく普通の食材だ。おかしなものなど入っていない」
「…………はぁ」
折れた。
見たところ、えげつないものは入っていない。野菜、スープ、パン、豆、チーズ、魚のスモークしたらしきスライス。
丸一日空だった腹には、よく見るメニューなことがありがたい。
しかし、誰かと食事をしたことなどほとんどないために、どうにも落ち着かない。どうしても視界の端で王の動きをとらえてしまう。
王は小食だった。スープに豆、チーズを少しばかり口にすると満足したのか、給仕に皿を下げさせた。
「なんだ、シロも小食か。とはいってもお前は人だ、遠慮しているなら気にする必要などない。食べるといい」
「いえ、そういうわけでは」
そもそも食べる方ではないうえ、他者が同じ部屋で食事をすることが落ち着かない。自然と手が止まる。
「まあ、よいか」
王はすっと立ち上がると、来いと言って歩き出した。
このまま大広間にいるわけにもいくまい。立ち上がり、数歩遅れて後を追う。
いくつか角をすぎ、階段を上がり、どこにも出口を見つけられないまま、王が部屋に入った。
書棚に机、ソファ、見た感じこの部屋は、
「どうした。私の書斎だが」
ソファに腰かけ、お前も座れと促される。
通路に突っ立っていても寒いだけなので、書斎に入る。
「一体どういうつもりで」
「随分もの言いたげな顔をしていると思ってな。今日は問いにいくらでも答えてやろう。どうせ私は暇を持て余しているのでな」
疑問など、ありすぎてどこから聞けばいいのかわからない。
逡巡していると、ソファを指して座れと再び促された。
「僕の荷と、馬はどこに……」
「荷なら部屋にあるぞ。馬には逃げられた。そちらにくくってあった荷は知らぬ」
逃げだす足は失ったようだ。
「じゃあどうやって僕をここまで連れてきたんだ」
「鎧の大男が居たろう、奴が担いできた。……なんだ、さっそく逃げ出す算段か? そういうのは時間をかけ、情報を集め、慎重に行うものだぞ」
下界に帰す気はないと言ったろう、と王が言った。
「下界に帰っても行く当てもないのだろうに。そもそもシロ、お前はこの城から出られないようになっている。そうした努力は無駄だ」
見透かされている。一人で城の構造を把握していくしかないらしい。聞いた自分が馬鹿だった。
「それなら、あなたは」
「私のことは王と呼べ」
「……王は、男性ですか。それとも女性ですか」
男とも女ともつかない声と顔。体つきは男にしては華奢で優美だが、女にしては背が高く胸もない。服もごちゃまぜにして縫い合わせたようで、まるでわからない。
「性別か。私は男でも女でもないぞ。男でも女でもある必要がない故な」
それでそんな半端な格好をしているわけだ。
目の前で突然姿をあらわしたり、人とは思えない容姿をされているせいか妙に納得した。
そうだ。
「王は、ずっと生きてるっていいましたよね」
「ああ」
「王はずっと、王として、並び立つものもいないところに、独りだったのですか」
そうだな、と王は頷いた。
「独りでずっと生きていて、寂しくはないのですか」
「……ふむ」
寂しいか、と王が口の中で繰り返す。
独りは寂しい。近しい人がいても独りだった。
誰も並び立つものがいないところに最初から立っていたら、独りは寂しくないのだろうか。
「寂しくないといえば、嘘になるだろう」
王は目を伏せた。
「長いときを日々過ごすだけというのは苦痛だ。刺激がない。感動がない。私の臣民や友が時折訪ねてくるが、彼らの命もまた長大ゆえに頻繁に会うこともない。彼らも時が経てば死んでゆく。私だけが取り残される。うつろな毎日は寂しく、味気ない」
王はそう言うと、シロを見た。
「だからシロを拾ってきた」
違う、そういうことじゃない。
王も表情から感じ取ったらしい。
「と、いうことを聞きたいわけではないようだな」
「独りでいることは苦痛ではないのですか」
王は少し首を傾げ考えて口を開いた。
「確かに私は独りだが、孤独ではない」
臣民がいる。友がいる。会いに来れずとも手紙を送ってくれる。
孤独ではない。
「…………。孤独だから、僕を城から出さないと言い出したのかと思いました」
「一人より二人のほうが楽しい、そうは思わないか? 一人ではチェスもできない。食事も一人より、二人のほうがおいしい」
「そうですか」
「なんだ、シロは楽しくないのか。私はシロが何を好んで食べるかとうきうきしていたのだが……」
そこで王がしょげる。どうやら僕が予想外に小食だったらしい。
口をとがらせて拗ねていたかと思うと、王はぱっと顔を上げて口を開いた。
「シロ、お前年はいくつだ」
「25ですが」
「ほう、25なのか。そう背丈も体格も変わらないから18かそこらかと思っていたが」
ならばあと50年はともにいられるな、と王は勝手なことを言う。
肩が落ちた。溜息はでなかった。
「なあシロ」
「なんです」
王はソファに寝そべり、シロは書棚の前に陣取って会話の合間に頁を繰る。
もともと人といることが得意でないので、目は本に固定されている。
「お前、なんであの道にいたんだ?」
手が止まった。
「あの道を山手に向かうとろくにものも取れない寒村がいくつか。だがシロは寒村育ちではないだろう。彼らは馬も飼ってはいないはずだ。町から来て、寒村に用でもあったのか? なら道端で野宿などしないだろう」
「……迷い込んで日が暮れたんですよ。霧も出ましたし」
「迷い込んだ? どこに行くつもりだったんだ」
「どこかはっきり目的地があったわけじゃありませんけど。あちこち見て回ろうかと」
「嘘を言うな」
視界の端で、王が体を起こした。
「追い出されたか、逃げ出したか……。あちこちなどというが、今は教会の権威が強い。その姿では都市には行けまい。小さな村は閉鎖性が強くて受け入れられぬ。さすらい続けるつもりだったのか」
「…………」
「シロ、わかっているだろう?」
「……聞きたくない」
「…………わかっているなら、何も言うまい」
そのあとは耳をふさぎ会話を拒絶し、夕食も拒絶し、どこをどう通ってか目覚めた部屋に一人逃げ込んだ。
わかっている。
この容姿がある限り、どこに行こうが僕が平穏に暮らせないことくらい。
ベッドに体を投げ出した。
今までどうすればいいかを考えて考えて考え続けて、どうにもならなかった。
もう何も考えたくない。
…………。
幼いころは、一人でいるのが当たり前だった。
己の世界は屋敷の中、外はせいぜい庭と前庭の閉じた世界。
年の近しい子どもは居らず、本を読み、蝶を追いかけ、屋敷の中を駆け回る。
父とも母とも、家人とも同じ空間にいることはほとんどなかった。食事を一人でとることも当たり前の日常だった。
剣を教わるとき、勉強するときだけは教育役が側にいたが、それも限られた時間だけ。
皆で集まるのは、週に1度、町の教会から司祭が来るときだけ。
隔離されているということに気が付くきっかけもなく、8歳の時に妹ができた。
『にいさまー』
『アンナ? どうしたの』
廊下で出会うと、とたとたと覚束ない足取りで寄ってくる。
手をつなぐと、幼い顔が嬉しそうに笑む。
『にいさま、おべんきょう?』
『この本? そうだよ。海のお勉強をするんだ』
『にいさま、うみってなあに?』
『海は、とってもとっても大きな水たまりだよ』
自室のドアを開き、妹を招き入れる。
図書室から持ってきた本を勉強机に置き、並んで座る。
『そういえばにいさまは、おとうさまやおかあさまとごはんをたべないの、どうして?』
『…………?』
父や母と食事ととらないのは今まで当然で、妹が何を言っているのかわからなかった。
妹の話を聞くうちに、妹は父母が側にいるのが当然の状態でいるらしいと知った。
話しかければ父母がこたえ、何かあれば家人が手を貸す。
妹が部屋を出た後も、その場に座っっていた。
何から何まで疑問があり、その答えを自分は持っていない。
今度父に会ったときに尋ねてみよう。
すぐにとは思わないことに、その時は何の疑問も感じなかった。
「……どうして、今このことを」
幼いころの、夢。
ゆっくりと寝返りをうった。頭も体も重いのに、眠れる気がしない。
まだ真夜中か未明か、手元も見えない暗闇。視界に入るのは自分の白い髪。
忌々しい白い髪。手を顔の前にかざせば、常人離れした白い肌。
ぼんやりと暗闇を見たまま、答えのない問いがぐるぐると頭をめぐる。
どうして自分はこの色で生まれてきたのか。
どうしてこの色は人々から嫌われたのか。
どうして祈っても神は沈黙するだけなのか。
無意識に胸元をまさぐった。飾り気のない、銀の十字架。私物らしい唯一の私物。
握りこんだままどうすることもできず、祈る気も起きず、ただ溜息をついた。
そういえば、この城で目を覚ましてからは色々なことがありすぎて、日夜欠かさなかった祈りのことを忘れていた。
祈り、縋っても何もなかったではないか。
ゆっくりとベッドから降り、手探りで家具を探す。ソファがあった。
十字架を首からとり、ソファに投げ落とす。
ドアに隙間があるのか、わずかに明るいところがある。
そろそろと注意して部屋を横切り、ドアを開ける。
ところどころに明かりがついているから、室内よりは明るい。
ドアを細く開けたまま部屋に戻り、靴を履く。城内を歩けば少しは気がまぎれるだろう。
夜中ということもあるだろう。広すぎる城内に生き物の気配はない。
うろうろとするうちに、食堂となっていた大広間の扉の前に来た。ああ、ということは
「ちょうど反対の位置に書斎があるのか」
そのまま食堂がある階を歩く。
書斎の窓からの景色は2階かそれ以上だった。エントランスがあるとすればこの階だろう。
広い廊下を選んで歩く。随分と長い。
歩いても歩いても。
角を幾つ過ぎても。
まるで進んでいないかのように。
「その通り。シロ、お前はここで停滞している」
「!」
「こんなところで何をしている」
振り向くと、寝間着姿の王が腕を組んで仁王立ちしていた。
「脱走のための下調べか。熱心なことだ」
だが、と王は言い、腕をつかんだ。
「それは認めぬ」
「嫌です」
「ならなぜ逃げようとする。理由は何だ。何が不満だ?」
「逃げる、理由……」
「それが答えられぬなら、我が城から出すわけにはいかないな」
答えても出す気はないが、と王はにんまりと笑う。
部屋に戻るぞ。そういってシロは手をひかれた。
彼は大きく息をついた拍子に、白い髪がこぼれた。
それをすぐに掬い、フードの中に押し込む。
「……どうしよう」
ぽつりぽつりと降り始めてきた雨を避け、大きなモミの木で馬を止める。
この道の先には、小さな山村があるかどうか。
いや、山村はダメか。
山村ほど異端には冷たく、狩りは厳しい。この髪では無理だ。
大きな町のほうが紛れ込むのは楽だ。楽だが、今は町で教会の権勢が強くなっている。
「髪を染めるだけで何とかなるとも思えないんだよな」
馬から降り、木の根に腰を下ろす。
とりあえず今夜は野宿だ。
そばの枝を数本拾う。湿気ているだろうか。
持ち出した荷物にマッチがあったはずだ。
雨は本降りにはならず、闇が深まるにつれて霧雨に変わった。
視界が悪い。
足を伸ばしたくらいのところで焚いた火が音を立てて爆ぜる。
休ませた馬が一瞬反応し、また大人しくなる。
どれだけその場でそうしていただろう。
「ん……どうした」
そわそわと落ち着きを欠いた馬の手綱を引く。
「狼でも出るのか?」
それにしては静かすぎる。草木が風になびく音一つしない。
静寂。
無音。
「……静かすぎ、のような」
生き物の気配がまるでしない。
馬をなだめ、先ほどまでのように木の下に落ち着かせる。
そうだ、冬の頭のこの時期だ、虫は鳴かないし獣も冬眠している。鳥も夜啼くものは限られている。風もなく霧があたりを覆っているからこんなに、静かで
音がした。
頭が真白になる。
蹄が石を踏む音。金属がこすれる音。どちらも耳に覚えがある。
だが。だが、だ。
こんな夜更け、しかもこの霧の中、誰が歩くというのだ。それも、こんな外れた地の細道を。
霧の中を行軍することはある。だがそれは、道がたしかな交易路や、沿道に大量の篝火を配したときの話だ。
蹄の音は一つ。足音はおそらく二つ。
足音は山手からするが、霧越しに篝火のぼうとした明るさはない。暗闇の中歩くなど。
心臓の音が耳の中でうるさく響く。
霧越しでもわかるほどに、もう近い。
赤みを帯びた目で山手の道を凝視する。闇と霧で姿は見えない。
視線を感じたのは気のせいだろうか。
「この道に人が居るとは、珍しい」
男とも女ともつかない声。
足音はすぐ近くで止まった。姿は見えない。
ガシャリと鎧が重く鳴る。同時に焚き火が踏み消されたようにかき消えた。
霧と暗闇が一瞬で間合いを詰める。
「真白をこの目で見たのは、何百年ぶりか……フフ」
声はくつくつとひとしきり笑い、どうした、と言った。
「……そうか、見えぬか。ならば」
これでどうだ。
突然目の前に騎乗した声の主が現れる。
金の髪に銀の瞳、うっすらと笑みを刷いたその顔は美しいがゆえに恐ろしい。
「――――――――」
◇◆◆◆◇
「ん……」
寝具の温もりに寝返りをうつ。昨夜は霧で寒かった。
「…………?」
違和感。
領地を出て、日が暮れ、霧があたりを覆い、
がばりと跳ね起きた。
ここはどこだ。
天蓋のある広い寝台。臙脂の敷物。火の入っていない暖炉。古く使い込まれたソファとテーブル。書棚と、その前には
「おや、起きたか。おはよう」
男とも女ともつかない、あの人物が本を繰りながら立っていた。
「ここは、あなたは……」
「ここは我が城だ」
本を棚に戻し、ゆったりとした足取りで近づいてくる。
「霧雨の中、行く当てもなく木の下にいたお前に屋根を提供した。そうおびえられた筋合いはない」
泊めてほしいといった覚えも、屋根を貸すという申し出も受けた覚えはないが。
「あ……りがとう、ございます」
「そして我が城に入れた以上、下界に帰す気はない」
寝台の前でぴたりと足を止め、昨夜と同じくうっすらと笑みを刷いた顔がこちらを見下ろす。
「私を誰かと問うたな。私は王。人が世を統べる前からここに住み、闇と、闇に追いやられた魂を統べる王」
「闇……魔、王……?」
魔王とは心外な、と自ら王と称したその人はいう。
「人世の狭量な神を際立たせるための道化とされてはかなわない。人がこの世を切り拓く遥か前から私は在る」
そういってくつくつと笑った。
「言ってもわかりはせぬか。まあよい」
遠く、重く、柱時計が鳴り響く。
「王たる私が見初めた。この城に起居することを許す。側に侍り話し相手をせよ」
「な、にを勝手に」
「シロ、お前はこれからはその名だ」
「ちょっと、」
「そういえば寝起きであったな。誰か、シロの身繕いをしてやれ」
顔を洗わせられ服を整えられ、あれよあれよという間に下女らしい者たちに身支度を整えられた。
口を挟む間もなく部屋を移動させられ、広いが閑散とした広間に連れていかれた。
山を望む大窓が並び、数百人は入ろうかという大広間に、長テーブルと十を超える椅子。そして、
「なんだ、座らぬのか」
頬杖をついて笑っている、王。
食事が冷めるぞ、と言った。
最後に食事をしたのは昨朝なので、空腹は空腹なのだが、この人物と顔を突き合わせて食べていいものか。
「安心しろ、このとおり食事の内容はごく普通の食材だ。おかしなものなど入っていない」
「…………はぁ」
折れた。
見たところ、えげつないものは入っていない。野菜、スープ、パン、豆、チーズ、魚のスモークしたらしきスライス。
丸一日空だった腹には、よく見るメニューなことがありがたい。
しかし、誰かと食事をしたことなどほとんどないために、どうにも落ち着かない。どうしても視界の端で王の動きをとらえてしまう。
王は小食だった。スープに豆、チーズを少しばかり口にすると満足したのか、給仕に皿を下げさせた。
「なんだ、シロも小食か。とはいってもお前は人だ、遠慮しているなら気にする必要などない。食べるといい」
「いえ、そういうわけでは」
そもそも食べる方ではないうえ、他者が同じ部屋で食事をすることが落ち着かない。自然と手が止まる。
「まあ、よいか」
王はすっと立ち上がると、来いと言って歩き出した。
このまま大広間にいるわけにもいくまい。立ち上がり、数歩遅れて後を追う。
いくつか角をすぎ、階段を上がり、どこにも出口を見つけられないまま、王が部屋に入った。
書棚に机、ソファ、見た感じこの部屋は、
「どうした。私の書斎だが」
ソファに腰かけ、お前も座れと促される。
通路に突っ立っていても寒いだけなので、書斎に入る。
「一体どういうつもりで」
「随分もの言いたげな顔をしていると思ってな。今日は問いにいくらでも答えてやろう。どうせ私は暇を持て余しているのでな」
疑問など、ありすぎてどこから聞けばいいのかわからない。
逡巡していると、ソファを指して座れと再び促された。
「僕の荷と、馬はどこに……」
「荷なら部屋にあるぞ。馬には逃げられた。そちらにくくってあった荷は知らぬ」
逃げだす足は失ったようだ。
「じゃあどうやって僕をここまで連れてきたんだ」
「鎧の大男が居たろう、奴が担いできた。……なんだ、さっそく逃げ出す算段か? そういうのは時間をかけ、情報を集め、慎重に行うものだぞ」
下界に帰す気はないと言ったろう、と王が言った。
「下界に帰っても行く当てもないのだろうに。そもそもシロ、お前はこの城から出られないようになっている。そうした努力は無駄だ」
見透かされている。一人で城の構造を把握していくしかないらしい。聞いた自分が馬鹿だった。
「それなら、あなたは」
「私のことは王と呼べ」
「……王は、男性ですか。それとも女性ですか」
男とも女ともつかない声と顔。体つきは男にしては華奢で優美だが、女にしては背が高く胸もない。服もごちゃまぜにして縫い合わせたようで、まるでわからない。
「性別か。私は男でも女でもないぞ。男でも女でもある必要がない故な」
それでそんな半端な格好をしているわけだ。
目の前で突然姿をあらわしたり、人とは思えない容姿をされているせいか妙に納得した。
そうだ。
「王は、ずっと生きてるっていいましたよね」
「ああ」
「王はずっと、王として、並び立つものもいないところに、独りだったのですか」
そうだな、と王は頷いた。
「独りでずっと生きていて、寂しくはないのですか」
「……ふむ」
寂しいか、と王が口の中で繰り返す。
独りは寂しい。近しい人がいても独りだった。
誰も並び立つものがいないところに最初から立っていたら、独りは寂しくないのだろうか。
「寂しくないといえば、嘘になるだろう」
王は目を伏せた。
「長いときを日々過ごすだけというのは苦痛だ。刺激がない。感動がない。私の臣民や友が時折訪ねてくるが、彼らの命もまた長大ゆえに頻繁に会うこともない。彼らも時が経てば死んでゆく。私だけが取り残される。うつろな毎日は寂しく、味気ない」
王はそう言うと、シロを見た。
「だからシロを拾ってきた」
違う、そういうことじゃない。
王も表情から感じ取ったらしい。
「と、いうことを聞きたいわけではないようだな」
「独りでいることは苦痛ではないのですか」
王は少し首を傾げ考えて口を開いた。
「確かに私は独りだが、孤独ではない」
臣民がいる。友がいる。会いに来れずとも手紙を送ってくれる。
孤独ではない。
「…………。孤独だから、僕を城から出さないと言い出したのかと思いました」
「一人より二人のほうが楽しい、そうは思わないか? 一人ではチェスもできない。食事も一人より、二人のほうがおいしい」
「そうですか」
「なんだ、シロは楽しくないのか。私はシロが何を好んで食べるかとうきうきしていたのだが……」
そこで王がしょげる。どうやら僕が予想外に小食だったらしい。
口をとがらせて拗ねていたかと思うと、王はぱっと顔を上げて口を開いた。
「シロ、お前年はいくつだ」
「25ですが」
「ほう、25なのか。そう背丈も体格も変わらないから18かそこらかと思っていたが」
ならばあと50年はともにいられるな、と王は勝手なことを言う。
肩が落ちた。溜息はでなかった。
「なあシロ」
「なんです」
王はソファに寝そべり、シロは書棚の前に陣取って会話の合間に頁を繰る。
もともと人といることが得意でないので、目は本に固定されている。
「お前、なんであの道にいたんだ?」
手が止まった。
「あの道を山手に向かうとろくにものも取れない寒村がいくつか。だがシロは寒村育ちではないだろう。彼らは馬も飼ってはいないはずだ。町から来て、寒村に用でもあったのか? なら道端で野宿などしないだろう」
「……迷い込んで日が暮れたんですよ。霧も出ましたし」
「迷い込んだ? どこに行くつもりだったんだ」
「どこかはっきり目的地があったわけじゃありませんけど。あちこち見て回ろうかと」
「嘘を言うな」
視界の端で、王が体を起こした。
「追い出されたか、逃げ出したか……。あちこちなどというが、今は教会の権威が強い。その姿では都市には行けまい。小さな村は閉鎖性が強くて受け入れられぬ。さすらい続けるつもりだったのか」
「…………」
「シロ、わかっているだろう?」
「……聞きたくない」
「…………わかっているなら、何も言うまい」
◇◆◆◆◇
そのあとは耳をふさぎ会話を拒絶し、夕食も拒絶し、どこをどう通ってか目覚めた部屋に一人逃げ込んだ。
わかっている。
この容姿がある限り、どこに行こうが僕が平穏に暮らせないことくらい。
ベッドに体を投げ出した。
今までどうすればいいかを考えて考えて考え続けて、どうにもならなかった。
もう何も考えたくない。
…………。
幼いころは、一人でいるのが当たり前だった。
己の世界は屋敷の中、外はせいぜい庭と前庭の閉じた世界。
年の近しい子どもは居らず、本を読み、蝶を追いかけ、屋敷の中を駆け回る。
父とも母とも、家人とも同じ空間にいることはほとんどなかった。食事を一人でとることも当たり前の日常だった。
剣を教わるとき、勉強するときだけは教育役が側にいたが、それも限られた時間だけ。
皆で集まるのは、週に1度、町の教会から司祭が来るときだけ。
隔離されているということに気が付くきっかけもなく、8歳の時に妹ができた。
『にいさまー』
『アンナ? どうしたの』
廊下で出会うと、とたとたと覚束ない足取りで寄ってくる。
手をつなぐと、幼い顔が嬉しそうに笑む。
『にいさま、おべんきょう?』
『この本? そうだよ。海のお勉強をするんだ』
『にいさま、うみってなあに?』
『海は、とってもとっても大きな水たまりだよ』
自室のドアを開き、妹を招き入れる。
図書室から持ってきた本を勉強机に置き、並んで座る。
『そういえばにいさまは、おとうさまやおかあさまとごはんをたべないの、どうして?』
『…………?』
父や母と食事ととらないのは今まで当然で、妹が何を言っているのかわからなかった。
妹の話を聞くうちに、妹は父母が側にいるのが当然の状態でいるらしいと知った。
話しかければ父母がこたえ、何かあれば家人が手を貸す。
妹が部屋を出た後も、その場に座っっていた。
何から何まで疑問があり、その答えを自分は持っていない。
今度父に会ったときに尋ねてみよう。
すぐにとは思わないことに、その時は何の疑問も感じなかった。
「……どうして、今このことを」
幼いころの、夢。
ゆっくりと寝返りをうった。頭も体も重いのに、眠れる気がしない。
まだ真夜中か未明か、手元も見えない暗闇。視界に入るのは自分の白い髪。
忌々しい白い髪。手を顔の前にかざせば、常人離れした白い肌。
ぼんやりと暗闇を見たまま、答えのない問いがぐるぐると頭をめぐる。
どうして自分はこの色で生まれてきたのか。
どうしてこの色は人々から嫌われたのか。
どうして祈っても神は沈黙するだけなのか。
無意識に胸元をまさぐった。飾り気のない、銀の十字架。私物らしい唯一の私物。
握りこんだままどうすることもできず、祈る気も起きず、ただ溜息をついた。
そういえば、この城で目を覚ましてからは色々なことがありすぎて、日夜欠かさなかった祈りのことを忘れていた。
祈り、縋っても何もなかったではないか。
ゆっくりとベッドから降り、手探りで家具を探す。ソファがあった。
十字架を首からとり、ソファに投げ落とす。
ドアに隙間があるのか、わずかに明るいところがある。
そろそろと注意して部屋を横切り、ドアを開ける。
ところどころに明かりがついているから、室内よりは明るい。
ドアを細く開けたまま部屋に戻り、靴を履く。城内を歩けば少しは気がまぎれるだろう。
夜中ということもあるだろう。広すぎる城内に生き物の気配はない。
うろうろとするうちに、食堂となっていた大広間の扉の前に来た。ああ、ということは
「ちょうど反対の位置に書斎があるのか」
そのまま食堂がある階を歩く。
書斎の窓からの景色は2階かそれ以上だった。エントランスがあるとすればこの階だろう。
広い廊下を選んで歩く。随分と長い。
歩いても歩いても。
角を幾つ過ぎても。
まるで進んでいないかのように。
「その通り。シロ、お前はここで停滞している」
「!」
「こんなところで何をしている」
振り向くと、寝間着姿の王が腕を組んで仁王立ちしていた。
「脱走のための下調べか。熱心なことだ」
だが、と王は言い、腕をつかんだ。
「それは認めぬ」
「嫌です」
「ならなぜ逃げようとする。理由は何だ。何が不満だ?」
「逃げる、理由……」
「それが答えられぬなら、我が城から出すわけにはいかないな」
答えても出す気はないが、と王はにんまりと笑う。
部屋に戻るぞ。そういってシロは手をひかれた。
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